2019年11月8日〜10日.
宇治市民絵画展に出展した。
昨年、初めて出展し今回は2回目の出展。
市民展は土日の午後に講評会を画家の先生にしてもらえることになっている。
もちろんその時にいる人が主ではあるけども代理でやこの方の聞きたいってリクエストでも作品についての意見が聞ける。
さらに絵かきが集まるということでそれぞれ意見を交換したりだとか、伺ったりだとか…
この作品は大阪クラブ絵画展も合わせて講義よりも多いんじゃないかと思うくらい多くの方の意見を聞くことができた…。
真っ白な壁が大阪クラブでの展示
有孔の壁が市民絵画展での展示となる
この間、5ヶ月ほどに額装だけでなく少し加筆している。
人によってさまざまな捉え方があり、
安定してるという人もあれば不安定に感じる人もいる。
丸いほわほわはいらないって言われることもあれば、それがあるから面白いってことを言われることもある…
いらないってのは完全にじゃなくて質量…質感的に落としてもとか、数減らしてもとか大きさの問題もあって一人ひとりの方が感じたままにで、同じことを言われたんじゃないと思う…。
もちろん、無ければ面白くなかったから描いた訳ではあるけども、質感はもう少し抑えてもよかったのかな〜とか広いスペースで見てみてわかることもあるので、そこはひとつひとつの意見をしっかり受け止めたいと思っているし、全てじゃなくて自分の描き方に合ったものをちゃんと書き留めて次に生かしたり、今回のように展示を何度かする作品は加筆するときに生かせばいいと思って、講評会に参加している。
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市民展は、急いで緊張してたこと、技術的に足りない点や話としてまとまってない点、他にもそう言わざる得ない状況にしてしまったかもしれない。
それでも、障害のある方には…評価を示すべきではない…みたいなことを講評の場で話さないでほしい。
できないこと、聞き流せばいいことを講評で言われることはこれまでもこれからもあるだろう。
人それぞれ思うこともあるだろうし、そう話すということに表現の自由だと主張するのであれば、話すことは間違ってはいないのかもしれない。
その先生だって依頼を受けてその日を空けたかもしれない。
誰だって時間を割いてるのだと言えばそうだろう。
私だって、遅刻はしてしまったけれどもあの日あの場所に講評を聞きに行ったのだ。
時間は決まってる。言い返すのはおこがましいのかもしれないし、なにより少しショックだったから思考がほんとに次の次くらいの人まで止まった。
今回は、たぶん講評をいただいたうえで、そのような話だったから、それで終わりになったけども、どこまで知ってらして、何を見てそう仰ったのかわからないけど、他人が障害者だって話をされるのならばそれこそそれなりにご配慮頂きたかったなって思う。
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色んなお話が聞けて面白いと思い、どちらかといえば好き好んで行っていた講評会。
そんなことを言われないように、言われても流せるように、精進しなくてはならないのは変わらないけど、
これからは、自分が出展したのにせよそうじゃないにせよ、考えて行動しなければと思いました。